最後の日に
昨日16日で最後の勤務を終えた。勤務中、先だって酒に飲まれた事を咎められた。この酔って迷惑かけた事に直接関係は無いが、その事で素晴らしい「気付き」のあった一日だった。無知の知ではないが、「至らざるを知るに至る」。今後、この事を忘れない様に記す。
自分自身の奢り。会社を取り巻く社会を去る事を関係者にわざと認識させ、その反応を確かめる、そしてそれとなく振舞う。それでこっそり自分の存在証明を確認する。そのちっぽけな足跡を再確認する。そんな他者の感情の機微を糧として頂く、自己愛を満足させるだけの余剰なエネルギーとして。
ここで問題となるのは、現実以上に存在価値を証明させ、その飽和した犬も食わぬ何かをフィードバックさせる為に虚構の自分を作りだす事。実態の見えないバブル存在価値観。そんな存在価値のおかげで、根本となる人間関係がオザナリになっていた。
自分でも解らない位に難しく書いてしまったが、要は「天狗」になっていたという事。至らん。
そんな自分を支えていた仕事を辞めた。
それに伴う「肩書き」も無くなった。
改めて心と身体の再構築する旅へ出ようと思う。まだ時間はある。