憂鬱たち
憂鬱たち(金原ひとみ) 文藝春秋 2009
とうの昔に現役横綱より年上となりました。
以前であれば「自分より若造が書いた本など読むものか」なんて息巻いてましたが、そんな事に縛られていたら読む本が無くなってしまう、現に芥川龍之介だって今の私の歳にはとっくに死んでるのです。すげぇな、大人!ちゅうか自分が子供、ちゅうかなんちゅうか…。
そんな芥川龍之介賞、第130回目を弱冠20歳で受賞された金原(かねはら)ひとみさんの短篇集を読みました。あえてふりがなを打ちました、私自身(かなはら)と呼んでいたもので、大人ですから、そう、人の名前は間違えないようにね。因みに同賞は「純文学」で「新人」じゃないといけないみたいです。「純」が付くといってもお酒の出ない、といった意味ではないみたいです。そして勿論、若さゆえの「新人」ではございません。
前置きは長くなりましたが、感想の文章は短いです。意図的ではなくて言葉が思い浮かばなかったので必然的に、ですね。
タイトルの通りとにかく「憂鬱」な短編集なんです、汲めども尽きぬ憂いが溢れかえっているのです、だから鬱がくっついて複数形になって「憂鬱たち」。主人公となる女性が生み出すそんな憂いがネズミ講のように、確変が終わらない裏ロム設定台のように、アレルギー・マーチのように。沢山、連続して、形を変えて、出現します。その様を想像するに、笑うしかなかったのでした、冷ややかに、悲しげに。自虐的でありながらも他殺的な、云わば「鬱の軽躁状態」。そしてこの高速増殖されたかのような憂鬱のメモリー上で繰り広げられるのが愛すべき自己、自己愛の象徴ともいえる「妄想」です。憂鬱と云う名の舞台、そこで繰り広げられるピン芸人のひとりノリ・ツッコミをする様な妄想。このセットで読者の感覚はだんだん麻痺していくことでしょう。なんだかですね、可笑しく思われるかも知れませんが、私はこの状態にこそ人間の生(「性」でも良いかな)を強く感じたのでした…。
って、こんな感じで何とも感想の言い難い本を読んでしまいました。面白かった?気持ち悪かった?いやいや、感想は一言では述べられません。7つの短編が収められています。私の面白かったという意味合いでのオススメは6番目に書かれた「
ゼイリ」です。
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