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Posted by チェスト at

2013年09月05日

地震 富士山 福田美蘭

東京で福田美蘭展をやってるみたいですね、本日の朝刊で知りました。私にとって、これはアンテナしょんぼりな事件です。


かれこれ三年前ですね、開館10周年記念特別企画展として霧島アートの森で開催された福田美蘭展。初めてみた彼女の作品群、私にとってはかなり衝撃的なものでした。

お父上が「日本のエッシャー」なんてプロフィールがまとわりついているようですが、私から言わせて頂ければ彼女こそが「日本のBANKSY」であって、シニカルな作品の持つパワーでは並ぶものがいないと言っても過言ではありません。そして彼女の願いはポリティカルアートとして作品からメッセージを強く世界に問いかけるのです。まぁ、この際アウト(サイド)かインかなんて事は考慮したくないのですが、グラフィカルアートとして在野に下った!としても彼女のセンスは卓越した輝きを放つでしょう。
で、東京に行って見てみたいのがこれ、たしか霧島に来てなかったと思います。


ブッシュ大統領に話しかけるキリスト (2002)

さすがの彼もキリストの言うことなら聴くでしょう、といった事でしょうか?作者名を隠すならば、悪の枢軸である異教徒どもをこてんぱんにやっつけちまえ、といった彼の妄想を具現化したものになるのかも知れませんが・・・。

そんな、霧島での展示が終わってから約三ヶ月後、あの地震が発生しました。

その時、私は彼女の一枚の絵を思い出すのです、いや否、正確に申し上げれば心の何処かに常設展が開催されっぱなしでした。


噴火後の富士 (2005)


形あるものはすべて壊れる運命にあり、美しさ(美)とは存在そのものであってどんな所にでも見出す事が出来る。これこそが不変の美なのでしょうなぁ。

多くの価値基準を短くし、効率のみを重視し、目線は近くなり、そして我が人生を悠久の営みのごとく解釈する(基準が自分だから、結果として対象物の一部の短い時間だけが切り取られる事となります)。

中身は変われど本質は変わらない人の姿、実にいとおしいものです。昨今の熱をおびている富士山振興(信仰ではなく)もほどほどに。そしていつ終息するとも知れぬ原発問題、出来るかぎりを確実に、長い道だと思いますが一歩づつ進んでいきましょう。


  

Posted by まつを at 12:34Comments(0)日記

2013年08月13日

SHORT PEACE

何かの熱病にでも、
いやさ、ムスメから知恵熱でもうつされたのかも…。
いやいや、「火要鎮」のトレイラーから飛んできた火の粉が、
この出不精な私に火を付けちまったんですねぇ。


大濠公園の花火を観るでもなく、1日の映画の日に行くでもなく、翌日8月2日に中洲の大洋映画館にSHORT PEACEを観に行って来ました。

4つのオムニバス作品から成るこの映画、オープニングを含め日本の宝とも称されるアニメーターによって創りだされた珠玉の作品群から成るのですが、やはり大友、原作と見比べる意味合いでも「火要鎮」か「武器よさらば」、まぁ、単純に面白かった後者について少々。


SOS大東京探検隊 (KCDX―大友克洋短編集 (658))に収録されている、原題「NIGHT FLAMES 火之要鎮(1995)」は映像作品と多少毛色が異なるので割愛。当時「江戸物」の作品制作にご執心であった同氏が手がけた江戸火消しを題材とした作品。原作では吹き出しのセリフの言い回しに凝った演出があります。正直読みにくいです。)



そうそう、大友といえば良英さん!「あまちゃん」のねー。
って下らないのは私の書き出しだけで当のあまちゃんはご覧の通り最高!
で、こっちの「武器よさらば」も最高ときたもんだ、拍手喝采な仕上がりなんですよ。


原作はヤングマガジン1981年11月16日号(講談社)で発表された読み切りの同名短編作品。巻頭カラーで一部ビデオ・カラリングという技術を用いられたものでした。(左画像)




素人のあたしが思うに、大友克洋の短編作品たち、それは限られたページ数、(大変な労力を必要とする)緻密な作画、膨大で際限のないサイエンス・フィクションストーリーが織りなすもの。正直なところ、彼の持っていた能力と環境では、物語の深淵まで明確に紡ぎ出す事や、コマ割りの隅々まで表現せしめる事など出来ていない・出来なかったんだと思うのです。だから叙情的な表現が多く見て取れるのかもしれません。色んな面で先を行き過ぎていたのかも知れません。しかし、彼が産み落とした、云わば「未完の物語」たちは多くを語らない分、有能なクリエーターに影響を与え続けているのでしょう。

リスペクト?フィーチャー?どんな言葉でも良いのですが、大友克洋が創りだした世界に監督であるカトキハジメが息吹を与えた。原作を補完する形で再表現され、見事に昇華されています。アニメーションで見事に立ち上げられた迫力ある戦闘シーン、兵器やパワードスーツなどの再構築化とそのディティールの素晴らしさ。原作には表現されて無かったタイトルの意味するメッセージ、そして最後には大友ワールドには欠かせないアイロニー表現も含まれています。

この迫力を是非映画館で!って言いたいけどあんまりやってないのが現状です。同じ日に封切られたアニメ作品とはだいぶ扱いが違いますねー、残念。  

Posted by まつを at 17:06Comments(0)映画・DVD

2013年08月09日

憂鬱たち

憂鬱たち

憂鬱たち(金原ひとみ) 文藝春秋 2009


とうの昔に現役横綱より年上となりました。
以前であれば「自分より若造が書いた本など読むものか」なんて息巻いてましたが、そんな事に縛られていたら読む本が無くなってしまう、現に芥川龍之介だって今の私の歳にはとっくに死んでるのです。すげぇな、大人!ちゅうか自分が子供、ちゅうかなんちゅうか…。

そんな芥川龍之介賞、第130回目を弱冠20歳で受賞された金原(かねはら)ひとみさんの短篇集を読みました。あえてふりがなを打ちました、私自身(かなはら)と呼んでいたもので、大人ですから、そう、人の名前は間違えないようにね。因みに同賞は「純文学」で「新人」じゃないといけないみたいです。「純」が付くといってもお酒の出ない、といった意味ではないみたいです。そして勿論、若さゆえの「新人」ではございません。

前置きは長くなりましたが、感想の文章は短いです。意図的ではなくて言葉が思い浮かばなかったので必然的に、ですね。

タイトルの通りとにかく「憂鬱」な短編集なんです、汲めども尽きぬ憂いが溢れかえっているのです、だから鬱がくっついて複数形になって「憂鬱たち」。主人公となる女性が生み出すそんな憂いがネズミ講のように、確変が終わらない裏ロム設定台のように、アレルギー・マーチのように。沢山、連続して、形を変えて、出現します。その様を想像するに、笑うしかなかったのでした、冷ややかに、悲しげに。自虐的でありながらも他殺的な、云わば「鬱の軽躁状態」。そしてこの高速増殖されたかのような憂鬱のメモリー上で繰り広げられるのが愛すべき自己、自己愛の象徴ともいえる「妄想」です。憂鬱と云う名の舞台、そこで繰り広げられるピン芸人のひとりノリ・ツッコミをする様な妄想。このセットで読者の感覚はだんだん麻痺していくことでしょう。なんだかですね、可笑しく思われるかも知れませんが、私はこの状態にこそ人間の生(「性」でも良いかな)を強く感じたのでした…。

って、こんな感じで何とも感想の言い難い本を読んでしまいました。面白かった?気持ち悪かった?いやいや、感想は一言では述べられません。7つの短編が収められています。私の面白かったという意味合いでのオススメは6番目に書かれた「ゼイリ」です。

  

Posted by まつを at 14:14Comments(0)漫画・本

2013年05月27日

ローラー台で考えるSeason2 その37

時間 30'03
距離 12.53km
平均速度 25.0Km/h
最高時速 31.9km/h

  

Posted by まつを at 00:00Comments(0)自転車

2013年05月14日

ローラー台で考えるSeason2 その36

時間 40'04
距離 16.77km
平均速度 25.1Km/h
最高時速 36.2km/h

おしりが痛いのも紛れるほど面白かったSoulbar 菊前編。
次回の為に後半は聴くのを我慢する。



  

Posted by まつを at 12:41Comments(0)自転車