2008年01月15日
負の輪廻はまた続く。
(走っていない)菜の花マラソンの翌日からどうやら風邪の症状。無理はするものではないですな。ちょっと休めって体が申しておるのでしょう。って休みすぎ?
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そもそも映画が好きな私。だからでしょうか?ネガティブな批評をするのは好きではありません。かといってそんな批評をする人が嫌いな訳ではありません。一所懸命映画を作る人がいれば、一所懸命働いたお金でそれを見る人がいる。その間で一所懸命論評を投じる人がいても良いでしょう。
I AM LEGEND(2007)
原作:リチャード・マシスン
監督:フランシス・ローレンス
今回私が感じた事は・・・、大きなイデオロギーによって話の内容は多少なり掏り替えられ、作っている(撮っている)人たちの手から離れてしまうという事。あくまで脚色とは異なります。そして、そのやり方があまりにも稚拙で乱暴、製作者の意図をお金を払っても知る事が出来ない、という現実。映画の出来不出来を越えた一種、存在の希薄さのような物が残る作品でした。
以後、作品内容を公開する文章となります。ご注意下さい。
致死率90%のウイルスがまん延する2012年、科学者ロバート・ネビル(ウィル・スミス)のように抗体を持つ人類は全人口の約1%以下。そして残りの約9%はウイルスに感染し、日中では行動出来ない凶暴な生き物になっている、という設定。そんな凶暴な生き物(新人類)をテロリストとして置き換え、1対多数という構成で尚恐怖心をあおる。そしてネビルはそんな(新人類)を助ける為に、感染源であるニューヨークに残り抗体の生成に務める。
劇中、私がもっとも気になったのは、完成途中の抗体を人体実験する為に(新人類)の女性を捕獲した所から。この後ネビルの発した言葉では「(新人類は)明らかに進化の逆行だ。人間としての行動はもはや見られない」とだけ言及されています。私はここに大事な言葉が欠落していたと考えます。ですがその言葉を使ってしまうと、観客はネビル自身をもテロリストだと認識してしまう事だってあるはずだからです。ストーリーの展開に重要な言葉だと思うのですが・・・。ボブの歌声だけが妙に悲しく宙を舞うのでした。
もともとこの原作となった作品は「吸血鬼 (地球最後の男)」と邦訳されたSF小説で、文字通り吸血鬼がモチーフとなった作品。原題はもちろん”I am Legend”。脚色により原題の意味が映画の内容とはズレております。ここに居心地の悪さを感じる方もいらっしゃるかも知れません。
もはや勧善懲悪ではない事が事実上確定してしまったこの国では、テロリズムに対する愛国心をフロンティアスピリッツから発したナショナリズムだけでは補えなくなってきています。そしてもはや良い脚本が書かれる事は無いこの映画産業も然り、原作をも捻じ曲げた形でのリメイクという手段に頼るしかないのが現実なのでしょうか?
(追)この文章を書きながら、製作者が上記のような理由では無しに、実はわざとこの言葉を使わずにいたのでは?とも考えてみました。さて皆さんはどうお考えでしょうか?
(追々)劇中、タイトルが出るちょっと前、ビルの看板でバットマンとスーパーマンのロゴが合わさった物がありました。もともと2012年は3年後の設定ですから・・・。こりゃ今年ロードショウなのですネ。
こんにちは!
まだ見てないです。DVD出た頃に借りて
見ようと思います。ずっこけ度合い10あったら
6〜7予想です。いずれにしろ楽しめそうですね!

コメント有難うございます。
お涙系かなと思いきや!結構怖い仕上がりでしたョ!
ずっこけ度合いは未知数ですが、サバイバル(さいとうたかを)、ドラゴンヘッド(望月峯太郎)みたいな寂しさがありますねぇ。犬好きだったら涙するはずです、たぶん。
ご無沙汰でーす!
お元気そうで何よりです!
ところで東バイ沿いのバイクショップH店さんが
無くなっていたのですが・・・移転されたのかなぁー
取り急ぎご報告まで・・・
コメント有難うございます!
ご無沙汰しておりまーす。
そうなんですよ、尾ノ上に移転したそうです。
http://www.rs-harada.com/proposta/
ここのおやじさんも相変わらず自転車乗ってるみたいです。坂大好きみたいですよ。