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Posted by チェスト at

2011年06月23日

時は流れる、ものは忘れる、そして強く残ろうとあり続ける。

久しぶりに自分の事を考えてみた。

何かが起こり、それがきっかけで自分自身と向き合う。

昔のことをどんどん忘れていることに気付かされる。

忘れかけている今のさなかだから、思い出す度に内証していくのかな。

これまで、どうだったかな?

忘れかかっていて、そして何かきっかけでもないと向き合えなくなっているのかも。

こんな系統立った作業は結構好きだ。なんてったって、自分の過去を忘れずに済むのだから。


以下、facebookの記事より転記。


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僕は、最愛の人を失ったという覚えがない。

「記憶」よりむしろ「経験」や「自覚」がないという言葉が適切だろう。



失って辛かった(って言えるのかな)のは、昔付き合った彼女との別れ。

ひたすら鈍感な僕は、醒めてしまった彼女の愛に気付かずにいる。

結果的にいつも別れを彼女に切り出される事になる。


これを書きながら気付いたんだけど、別れを告げられた後の気持ちの醒めっぷり、自分で言うのもなんだけどこれは自信がある。一瞬でそれまでの想いをゴミ箱にぶちこめる、ポッカリと何かが欠落はするんだけど。

ナルシストなんだなぁ、たぶん。「あんた、ふられたよ」って事実を受け止めきれないんだろうな。


では改めて。

失って辛かったのは何かっていうと、腹が減ってるはずなのに、ポッカリ開いた穴から食欲がすべて流れ出ているのに気付いていなかったこと。胸がつっかえて通らなくて、通っても味がしなくて、食べることが好きなのに食べるのが辛くて・・・。

しかし、それは長く続かない。穴はふさがる。すぐにうまくなる。

だって、飯を食わなきゃ生きていられない。そして生き続けてなきゃ、新しい彼女には巡り合えないって分かっているからだ。






きんちゃんとむすめ


  

Posted by まつを at 12:06Comments(0)日記

2011年06月02日

大隅に行ってみた。

最近はズッキーニばかりですみませんでした。

で、えーっと。

昨日、初めてですね、通過しかしていませんでしたので。大隅半島をササッと観てまわった次第です。


より大きな地図で 大隅2011 を表示

まずは朝8:00に山川港を出るフェリーで根占港に向かいます
船中より山川港を望む、うっすらと開聞岳が見えますね。写真が悪くてすみません。途中でイルカさんたちに会いました、彼らは船の引き波で遊んでいる、との事。何事にも遊びは必要なのだなと、学ばされます。根占港では海難から守る赤い鳥居の神社がお出迎え。

案内人が待つ、吾平山上陵へと向かいます。

山の中、清々しい所です。「で、ここは一体何なんですか?」って凄く失礼な事を聞いてしまったので、ご存じない方はコチラで下調べを・・・。 吾平山上陵とは?

その後、案内人は色々なロケーションの良い場所に案内してくれます。ここでは割愛致しますが、手付かずな箇所がまだまだ多く、荘厳なパワースポット感の強さ、大隅半島の懐の深さ、近代史の表舞台に立てなかったこともあり、ま新しい見所の多い大隅半島でした。

最後に時間も押し迫る中、内之浦の辺塚海岸を目指します。車を走らせるにしたがって、だんだんと人気が少なくなり、自然との距離が密になってゆきます。坊津とはまた違った雰囲気を持った海岸線を走ること40分、数人のお年寄りが住まわれる集落に到着。

キレイでしょう、勿論天然のビーチですよ。山側からは人を寄せ付けない感じが解って頂けるかと思います。ウミガメが産卵に訪れるそうですよ。
集落から少し入るとこんな祠が。海から切り立った山々、山岳信仰が強く根付いている証でしょうか?



今まで知らなかった大隅の良さを満喫した一日、簡単な動画にまとめました。良かったらご覧下さい。




  

Posted by まつを at 01:21Comments(2)日記

2011年05月21日

ズッキー日記3


記念すべき、1本目の収穫は本日なり。
早速今晩オリーブオイルで焼いて食べちゃおう。  

Posted by まつを at 14:12Comments(0)日記

2011年05月11日

ズッキー日記2

  

Posted by まつを at 09:29Comments(0)日記

2011年05月02日

ズッキー日記



  

Posted by まつを at 11:46Comments(0)日記

2011年04月25日

魔法を探索中。

なかなか泣き止まない娘に、サティのJe te veuxをループさせて聞かせると魔法がかかったように泣き止んだ。

しかし、そんな魔法も3日位で消えてしまうらしい。




あらたな魔法を探して、最近ずーっとドビュッシーを聴いてます。

いいですね、ドビュッシー、まずタイトルがなんともエスプリ。物語から引用したものが多く、仏語を直訳してるからか、聴く前から変化球ですね。「沈める寺」とかすげータイトル。元になったイスの伝説も面白い。

いいですね、ドビュッシー、懐かしい感じがするんですよ、日本のね、なんだろな、これ。民謡?唱歌?

いいですね、ドビュッシー、なんだか落ち着くんですわ、子供は泣いてるけど大人が。

で、大人が落ち着くと自然と子供も泣き止むみたい、魔法にかかったみたい、不思議なんですわ。


それで、今更クラシック買うのは~って思われる方には、コレがおすすめですよ。



音質にこだわりがある方にはおすすめをご遠慮しておきますが、著作権保護が切れたものですから1950年代以前のものばかり、とりあえず録音が古いんです。

で、切れたてでオススメなのがギーゼキング、結構あるんですよ。詳しい奏法とかテクニックは解んないけど、とりあえずキングだからすごいって事でオススメ。


あー、でも「版画」が無いんだ。聴きたいなぁ、これは買わなきゃだめか・・・。



  

Posted by まつを at 16:33Comments(0)日記

2011年04月12日

「何もしない」と思う事の難しさ。

人間の手に負えない、しかも自然界に存在しているものではないものが発生しているので、避難するのが当然のはずだが、この国ではどうやら違うらしい。むしろ、今こそ、日本という底力が試されているのだと皆意気込んでいる。多少の被曝は仕方が無い、それよりも復興をと急いでいる。原発をなくせと叫んでいる。鬱病患者は無茶苦茶多い国のはずなのに、鬱病的状況下での行動は、むしろ躁病的発想である。僕はつい二年前まで完全なる鬱状態から抜け出せずに苦しんでいたので、なかなかそんな流れと波長が合わない。
 鬱病の時の自分のことを振り返る。
 遠くで応援されていると嫌になる。遠くからこっちに来て、一緒に遊ぼうよと言われるとそこで楽しめるか不安になる。でも、こっちへ来て、なにも喋らなくてもいいから、食事と寝床はちゃんと用意するし、食事の時以外はほとんど話しかけないから、ゆっくりこっちで休みなさいと言われたら、安心して今まで堅くなっていた力をちょっとだけ抜いてぐったりしたくなる。鬱状態の時には、貧困感が増すので、お金を貰えるのはとてもとても嬉しい。音楽は基本的に頭に入って来ないので歌わないで欲しい。でも、時折一人で小さい音で音楽を聴いてみたときに突如、心が洗われる瞬間がある。僕はJUDEE SILL聴きながら、NICK DRAKE聴きながら波長が合うのを感じ、その時だけ集中することができた。だから、信頼している人から送られてくるMP3はとても嬉しくなる。youtubeはだから嬉しい。突然、元気な人が家の中に入ってきて、御飯を作ってあげるとか、贈り物を持ってきたとかテンション高く言われたら、凹む。でも、昼間布団干しといたよ、静かにしてるから寝てていいよ。と母親的な施しを受けると無茶苦茶楽になる。ちらかっている部屋を掃除するのもいいけど、もっとやりたいのは、そこから離れることである。見ないことにしておきたい。そして、その間、できることなら他人によって掃除してもらいたい。そのためにお金を払うのも嫌なので、余裕がある人に払ってもらえたら、それもまた楽になる要因になる。

零塾 -0円ハウス Kyohei Sakaguchi- 18(2011年4月10日(日))より

以前から何となく気になってた他称”カリスマホームレス”坂口恭平氏。詳しく何をやってるか知らないけど、ゼロから始める都市型狩猟採集生活なんて本を出してる人。
同郷の好で勝手に贔屓目に見て、年下だと解ってこれは応援しなければと思いつつ、行動の鋭さというか切り込み加減の躊躇無さに、深く、そして広く感じられる五つの歳の差を想像していた。色んな人を鹿児島に呼んでワークショップしたいなー、彼呼んだら面白そうだなー、なんて軽く思ってた。
そんな時にこの抑鬱体験記、極限の心理状態を代弁出来る彼に改めて興味をもった次第、そして現実を知ることとなった。

個々人の状態は異なるけれど、確実に被災地は総「鬱」傾向にあるようだ。カウンセラーを勤める仙台で被災した知り合いはこう語る。

大丈夫!そばにいます!一緒です!頑張って!祈ってます!これらの言葉を安易に被災者に使うべきではない。心の中で思うか、自分のメディアで発信する分にはいいのですが、多くの被災者が、あまりにも早いタイミングで直接これらの言葉をかけられ傷ついています。現実的なサポートか、黙って見守ること

良かれと思った多くのメッセージがマスメディアから流れていることで苦しんでいる人たちがいる。有名人が言葉に寄せる事、歌手が歌に込める事。思いはなかなか伝わらない。

今改めて思う。人間は分かり合う事が出来ない。だから諍いあうのだろうし、逆に寄り添う事ができるのかも知れない。だからこそこの不完全な「人間らしさ」というものが愛おしくてしょうがないのだろう。
復興なんて簡単なものじゃない。他人の気持ちなんてわかりっこない。痛みは分かち合えない。ただ時間が経ち、心が平穏となる日を待つしかない。







慰みかもしれないが、現実とは言えこんな終わり方では悲しすぎるので、昨日見つけた素敵なものを紹介します。昨日、荷解きで見つけた母親からの残暑見舞い、真っ白な葉書に貼ってあったのがこの切手。思わずハッとする美しさだった。
神戸で震災は起こったのだけど、こんな素敵な切手が出来た。これは気休めでも嘘でも、取り繕った相槌でもない。みんなが作り出した「想い」が形となったのだ。




  

Posted by まつを at 01:22Comments(0)日記

2011年03月16日

この歳にして、特に強く思う事

娘の出産の際、私の実の母親が手伝いに来ていた。その時聞いた昔話。

「あんたが生まれる時、あんまり大変だったので『(この子は)いらん!!!』と叫んだのよ」

「そしたら産婦人科の先生に『何を言うか!』って怒られたったい」

38年前の今日、私は4000gと大きく生まれたらしい。そりゃ大変だったろう。


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両親の遺伝子を確実に受け継いだ事、そして三学期の一番最後にくる誕生月、

そのことで私は学年で一番小さい存在だった。

背の順で一番前、生まれ順で一番最後、今にして思えば劣等感の塊だったと思う。

小さく生んで大きく育てる、と云う言葉があるが、

大きく生まれてしまった子供の末路は険しいもののようだ。

しかし、そんな思いも20歳の誕生日を迎え、すべてが解禁となった日には何とも思わなくなってしまった。


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でもしかし、そして、初心忘るるべからず。

あのハングリー精神を年に一回は必ず思い返し、現在の緩い自分に喝を入れたいものだ。




幼少時、そんな思いを巡らせた方は少なくないだろう。

そんな早生まれさん、そして特に愛おしい全ての3月生まれさんを私は愛します。


  

Posted by まつを at 00:00Comments(0)日記

2011年02月18日

Campari suspension lamp

先日カンパリの広告の本の話をした時、かつての同僚まつお氏がコメントしていたカンパリソーダのランプ、今更ながら売っている事が解りました。一見雑多な感じの作りだったので(←照明を暗くしてた飲み屋さんだったので…、許してね)てっきり既製品じゃなくてオリジナルだと思ってたのよね。





いろんなプロダクトデザインを手がけるIngo Maurer(インゴ・マウラー)社の物。ちょっとややこしいのですが、正確にはRaffaele Celentano(ラファエル・チェレンティーノ)という写真家がデザインして、Ingo Maurerに作ってもらった代物。

日本でも売ってそうなところを見つけましたんで、ココ。なんと動画でおねーさんが製品紹介してくれてます。





こんなランプが似合う部屋にしてみたいものです。しかしながら、赤いランプ。うーん、個人的には落ち着かん部屋になるだろうなぁ。  

Posted by まつを at 18:00Comments(2)日記

2011年01月07日

Simpsons&BANKSY



The SimpsonsとBANKSY、ははは、いやまいったね。


何も言えね。

  

Posted by まつを at 17:50Comments(0)日記